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揺れながら生きることが許される社会へ|【明石市】精神科に特化した訪問看護

揺れながら生きることが許される社会へ|【明石市】精神科に特化した訪問看護

揺れながら生きることが許される社会へ|【明石市】精神科に特化した訪問看護

2026/01/26

揺れながら生きることが許される社会へ:その3

第3回 暮らしの場からはじまる回復

―訪問看護が支える日本的リカバリーの実践

第1回・第2回では、日本的リカバリーの背景と理論的な枠組みを整理してきました。

最終回となる第3回では、その枠組みが訪問看護という具体的な現場でどのように実践されるのかを見ていきます。

ポイントは、

①生活の場に入るということの意味

②「関係性」「揺れ」「小さな役割」をどう支えるか

③チームとして日本的リカバリーを紡いでいく視点

の3つです。

 

1. 「生活の場」に足を踏み入れるということ

訪問看護の特徴は、病院やクリニックではなく、
その人の暮らしそのものの中に入っていくことにあります。

玄関の様子、靴の脱ぎ方、部屋の匂い、生活道具の配置、テレビの音量――
カルテには書かれていない、たくさんの情報に出会います。

そこには、

その人がどんな時間帯に起きて、どのように一日を過ごしているのか

家族との距離感や、沈黙の質

ベランダや窓から見える風景に、どんな意味が宿っているのか

といった、「生活世界」の手触りのようなものがあります。


精神科訪問看護は、医療処置や服薬管理を行うだけの場ではなく、

「その人の暮らしの物語」に一時的に同席させてもらう実践なのではないかと思っています。

 

2. 「一緒にいる」ことがつくる関係性

第2回で触れたように、日本的リカバリーには、
自己を「関係性の中のわたし」として捉える視点があります。

 

訪問看護の場面では、しばしば

何か支えになるようなことを「手伝う」こと、指導や助言を「伝える」こと

に意識が向きやすくなりますが、同じくらい、あるいはそれ以上に大切なのが、

「同じ空間に、一定時間『一緒にいる』ことです。

 

言葉があまり出ない日、言葉にならない気持ちでいっぱいの日や家族との関係が重く感じられて語れない時、将来のことを考える余裕がまったくないようなとき…そんな場面で、訪問看護師ができることは、立派なアドバイスではなく、少しだけ片づけを手伝いながら、沈黙を共有するとか、

「ここ数日どうでした?」と問いかけてみるけど、何かの結果や結論を求めない、いそがないといったいわば「関係性としての時間」を置いていくことかもしれません。

それは、「効果」として測りにくいものですが、
本人にとっては、「揺れてもつながりが切れない」経験として、
リカバリーの土台になっていくと考えています。

 

3. 「揺れ」とつきあう具体的な支え方

症状や生活リズムの揺れは、訪問看護の現場では日常的に起こります。この揺れを

「できない自分が露呈した」とか「失敗」として見るのではなく、
「人として自然な波」であり、「流れの中で扱っていくもの」

として捉え直します。

その体験をどう取り扱うか?がセルフコントロール力になっていきます。

具体的には、こんな関わりが考えられます。

調子が良い時期に、「調子が落ち始めるサイン」を一緒に振り返る

しんどい時期に、「ここまで持ちこたえられたこと」に光を当てる

日ごろからどんなことが調子を崩すきっかけになり、そのサインがなんなのかを一緒にみ付けておく事、そして、その対処を一緒に考えておく事、それを本人の言葉でカスタマイズして、使えるものにしておきます。

 

ここで「目標を定めるとき」に大事なのは、
「再発させないこと」「揺れをゼロにすること」だけを目標にしないことです。本人がそれを目標とするのはいいとして、支援者的目標についつい誘導してしまうなんてことがないようにしたいものです。

 

私の実感として「え?いまそれが目標なの?」と少々驚いたり、意外性の発見をすることもあるのですが、理解するために「それは、〇〇ってことであってますか?」などの確認はしても、言葉を置き換えたり、上書きしないようにしています。

 

揺れが大きくなって、危険な状態が予測されることもあるでしょう。最悪のケースを防ぐためのリスクマネジメントは重要です。


ただ、その先にある目標は、

揺れがあっても、暮らしがすべて崩れないようにすること

揺れたあとに、「持ち直しのパターン」を増やしておくこと

揺れに気づいたときに、「誰に、どう伝えるか」を一緒に整えておくこと

といった、「揺れと共存できる生活の構え」をつくることにあります。

 

訪問看護師は、そのプロセスを「生活の現場」で、その人のペースに合わせて一緒に組み立てていく専門職だと思っています。

 

4. 小さな役割を一緒に見つけ、育てる

訪問の中で見えてくる「小さな役割」は、リカバリーにとってとても重要な資源です。

家族のためにお茶を沸かす

飼い猫のトイレを掃除する

ゴミ出しの日を守る

 

ご本人にとっては「たいしたことではない」と感じるかもしれません。
しかし訪問看護師の目から見ると、その何気ない、小さなひとつひとつが、その人の暮らしを支えている重要な“役目”だと思うのです。

 

支援者としてできるのは、

その行為が担っている意味を、一緒に言語化してみる

「それがあるから、朝起きられるんですね」

「猫がいるから、外とのつながりが途切れずに済んでいるのかもしれませんね」
すでに存在している小さな役割を丁寧に見つけていくことは私たちのできる役割の一つだと思います。

 

体調の変化でできなくなったときも、「ダメになった」と評価せず、
「やり方を変える」「頻度を変える」などの調整を一緒に考えるといった関わりもあります。調子が傾くと視野が狭くなり、些細な変更や調整が思いつかないことは多々あります。そんな時に、「回数だけ減らしてみましょう。」とか、「こんな簡単な手抜き動画があるよ。」などの工夫を一緒にさがしていく、そんな小さな気づきが実は入院の回避に繋がったり、仕事を継続できるヒントなることがあります。

 

5. チームとして、リカバリーを紡いでいく

訪問看護だけで、すべてのリカバリーを支えられるわけではありません。
医師、相談支援専門員、福祉事業所、家族、友人、地域――
多くの人たちとの連携が不可欠です。

日本的リカバリーの視点から言えば、
訪問看護師が担うのは、

「制度」と「その人」のあいだをつなぐ役割
「専門職」と「その人」のあいだで翻訳する役割

でもあります。

専門用語で語られた治療方針を、本人・家族の言葉に置き換えるサポートをします。

本人や家族の「なんとなくしんどい」という感覚を、他職種に伝わる形に翻訳する

「揺れ」を前提にした見立てや支援目標を、チーム内で共有し、
「右肩上がりのゴール」だけが求められないように調整する等々・・・様々です。

 

こうした“間をつなぐ”仕事こそ、リカバリーの意識を現場で育てていくうえで欠かせないものです。

 

支援者同士もまた、一人で抱え込まず、カンファレンスやスーパービジョンで「自分自身の揺れ」も共有する。「こうしなければならない」と思い込んでいる枠を見直す。

互いの専門性を尊重しながら、「この人にとって何が大事か」を考え続ける

そうすることで、チームとしてのリカバリー観を少しずつ育てていけるのではないかと考えています。

 

 

6. おわりに

――揺れながら生きることを、共に許していく

 

3回にわたって、「日本的リカバリー」というテーマを、
生きづらさの背景、文化的な視点、訪問看護の実践という角度から眺めてきました。

繰り返しになりますが、ここで言う「日本的リカバリー」は、
誰かの理論に対抗するためのスローガンではなく、

今ここに生きる私たちが、
自分たちの経験や感性に根ざして、リカバリーという概念をもう一度つくり直していくための試み。

揺れながら生きること、不完全なまま、ここに居続けること

小さな役割を通して、今日をなんとかやり過ごすこと

それらを「足りない」「できていない」とみなすのではなく、
「それでも生きている力」として、一緒に見つめ直していくこと。

 

その営みそのものが、
日本的リカバリーの実践なのだと思います。

 

そして、このシリーズを書き出した時には、何故日本人が元々持ち合わせている文化から発した支援の型がないのか?なぜ私たちが異なる文化からやってきた輸入の概念を使うことしかできないのか?と思って書き出したのですが、書いているうちに、輸入なのか、日本文化に基づいているものなのかはあまり重要ではないなと思うようになりました。

 

元来日本人は新しい発想は苦手でも、新しいものを寛容に受け入れ、自分たちのいい塩梅に上手に工夫を重ね、自分たちに馴染ませていくという特性を持っているんだなぁと改めて感じてきました。

支援の形以外にも日本文化にはそうやって日本式に工夫されたものや制度があり、その中で生活している自分自身に気が付きました。

 

揺れながら生きることを、まずは支援者自身が自分に対して許し、
その姿勢を通して、利用者さんやご家族、地域へと少しずつ波及させていく。

 

そんな長い視点で、一緒に「日本人の文化に合うリカバリー」を育てていけたら・・・!そして、

これからも利用者さんと共にリカバリーを体現していきたいと思っています。

 

では、またです!

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