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揺れながら生きることが許される社会へ|【明石市】精神科特化の訪問看護ミント

揺れながら生きるが許される社会へ|その2

揺れながら生きることが許される社会へ|【明石市】精神科特化の訪問看護ミント

2026/01/21

揺れながら生きるが許される社会へ:その2

~輸入概念の先にあるもの~

 

第2回 関係性・揺れ・小さな役割

――日本的リカバリーを形づくる3つの視点

第1回では、「なぜ今こんなにも生きづらさが広がっているのか」という背景と、
そうした状況の中で「リカバリー」という輸入概念をどう扱うのか、という問いを整理しました。

 

第2回では、そこで浮かび上がってきた問いに対して、
日本的リカバリーを形づくる3つの視点として、

 

関係性としての「わたし」

揺れを前提とした回復観

小さな役割としての「目的」

を、少し整理してみたいと思います。

 

1. 関係性としての「わたし」:自己決定を「ひとり」で背負わせない

リカバリーの議論では、しばしば「自己決定」「自己選択」が強調されます。
自分の人生の舵を、自分で取っていく――その方向性自体は、とても大切です。

しかし、日本で暮らす多くの人にとって、

「自分がどうしたいか」を明確に意思表示すること

すべての選択を自分の責任として引き受ける

という「あり方」は、ときに大きな負担にもなります。

 

日本の文化では、もともと「わたし」は、周囲との関係性の中で形づくられてきたと思います。例えば、家族の期待に応える「わたし」であったり、職場や学校の空気を読んでそこに馴染もうとする「わたし」であったり、地域コミュニティや友人との関係のなかにある「わたし」・・・・どうでしょうか?他者との関係性があってこそ、自分も存在することが自然で、複数の「まなざし」の中で、自分の位置づけを探りながら生きる感覚が、前提としてあるのではないかと思うのです。

 

この前提を踏まえるなら、日本的リカバリーにおける「自己決定」とは、

「ひとりで決めること」ではなく、
信頼できる他者との対話の中で、少しずつ『自分の意思の輪郭』を見出していくプロセスといえるのではないでしょうか。

 

支援の現場では、

「どうしたいですか?」といきなり問うのではなく、

「一緒に考えてみましょうか」と、プロセスに付き添う

「今はまだ分からなくても大丈夫」という前提を共有しておく

「戸惑いも、混乱も話して大丈夫」という心理的に安全な場であることをきょうゆうしておく。といったスタンスが重要になります。

 

2. 揺れを前提とした回復観

――直線ではなく「行きつ戻りつ」の時間

リカバリーを「プロセス」として捉える発想は、欧米の議論にも共通しています。
しかし、そのプロセスのイメージは、文化によって少しずつ異なります。

直線的な時間観では、「スタート」から「ゴール」へと進む一本の線が描かれます。

一方、日本的な時間感覚には、「行きつ戻りつ」「めぐりめぐる」といった循環的なイメージが存在します。

ここで重要なのは、

「揺れないこと」をめざすのではなく、
「揺れがあっても関係が切れないこと」「揺れを含んだまま生きられること」をめざすという回復観です。

症状や気分は、どうしても波を伴います。
リカバリーを「右肩上がりの成長曲線」のようにイメージしてしまうと、
一度落ち込んだときに「振り出しに戻った」と感じやすくなります。

そうではなく、

波そのものを「人間の自然なリズム」として捉え直す

一時的な悪化を、全体のプロセスの中に位置づけ直す

「また同じ場所に戻った」のではなく、

「新しい経験を経た上で似ているけど、それを乗り越えた地点へとすすんできた」と見立てる視点が大切になります。
 

支援者の役割は、波を完全になくすことではなく、

どのくらいの揺れなら、一緒にやり過ごせそうか

揺れの予兆を一緒に観察し、早めにケアできるようにするか

揺れたあとに、どうやって「持ち直す」かの手段を増やしていくか

を、本人・家族と共有していくことだと言えるでしょう。

 

3. 小さな役割としての「目的」

―「立派な目標」から、「暮らしを支える小さな役目」へ

リカバリーの中では、「意味のある活動」「社会的役割」が重要な柱として語られます。
就労やボランティア、学び直しなど、大きな目標が挙げられることも多いでしょう。

ただ、リカバリーを身近に考えるとき、もう一歩視野を広げたいのがこの「目的(Purpose)」です。

人の暮らしの中には、次のような「小さな役割」が満ちています。

・朝、猫にごはんをあげる

・ベランダの植物の世話をする

・近所の人とあいさつを交わす

・家族の「いってらっしゃい」「おかえり」を受け渡す

どれも、ささやかな行為です。
しかし、その人の一日を支えている「リズム」や「意味の手応え」は、むしろこうした行為に宿りやすいのではないでしょうか。

 

このように身近な、日本的な、リカバリーにおいて、「目的」とは、

外から見て分かりやすい立派な目標ではなく、
本人の暮らしを内側から支える“小さな役目”を一緒に見つけ、育てていくこと

と定義し直すことができます。

例えば、

「どんな仕事を目指しますか?」の前に、「一日の中で、ほっとする時間はどこですか?」と尋ねてみる

すでに行っている家事や趣味、ルーティンを、「役割」として言葉にしてみる

「それがあるから、なんとか今日もやっていけていること」を、本人とともに確認するといった関わりが大切な第一歩のように思います。

そして、この小さな役割は、「できなくなったとき」にも意味を持ちます。
うまくいかない時、「ああ、ここが崩れやすいんだね」と気づくための手がかり=サインにもなるからです。

4. 3つの視点がつくる、日本的リカバリーの“枠”

ここまで見てきた

関係性としての「わたし」

揺れを前提とした回復観

小さな役割としての「目的」

という3つの視点は、それぞれ独立した理論ではなく、
日本的リカバリーを考えるための「枠」「ものさし」のようなものです。

関係性としての「わたし」という前提があるからこそ、
自己決定をひとりに押しつけず、一緒に考えるプロセスが大切になる。

揺れを前提とした回復観があるからこそ、
一時的な悪化を「失敗」とせず、「波」として一緒に眺めることができる。

小さな役割に目を向ける視点があるからこそ、
大きなゴールだけでなく、「今日を生きのびるための意味」を支えることができる。

 

これらはすべて、特別な新しい技法というよりは、
私たちがもともと持っていた感性や文化を、リカバリーという枠組みの上で言語化し直したものだと言えます。

第3回では、これら3つの視点が、
訪問看護という具体的な現場でどのように息づいているのか、
「暮らしの場からはじまる回復」というテーマで考えていきたいと思います。

では、またです!

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