社会は何故人を「施設」に集めるの?|精神科訪問看護ミント
2026/03/18
社会は何故「施設」を必要とするのか?
第2回
前回の記事では、施設という構造が人にどのような影響を与えるのかについて考えました。
今回はもう少し視点を広げて、
社会の中にある「施設」という仕組みについて考えてみたいと思います。
社会は何故「施設」を必要としているのか?
社会は、ある特徴を持つ人たちを
一つの場所に集めて対処する仕組みを作ってきました。
私たちが日々関連している業界でいうと
精神疾患のある人は精神科病院へ
障害のある人は施設へ
高齢者は老人ホームへ
ということになりますでしょうか。
それぞれの場所には専門性があります。
ケアも提供されています。
しかし同時に、それは
社会の中で共に生きる仕組みではなく、
別の場所で対処する仕組み
でもあります。
隔離は差別を生む
この構造が生み出す問題の一つが、
「見えなくなること」ではないでしょうか。
人は、見えないものを理解することができません。
精神疾患のある人が地域にいなければ、
社会はその存在を想像することが難しくなります。
すると、
・危ない人ではないか
・理解できない人ではないか
・関わらない方がいいのではないか
というイメージだけが残ってしまう。
隔離は、差別を生む。
これは歴史の中で何度も繰り返されてきたことです。
高齢者においても同じことが起きているのではないかと思うのです。
人が年を重ねて亡くなるという自然極まりないことが、
施設のなかで社会や普段の生活から切り離されたところで起きている。
私たちは誰しも必ず年をとり、そしていつか死にます。
その姿を見えなくしている構造が社会、日本の社会にはありますよね。
精神科病院の話に戻します。
ここまで書くともしかして
「精神科病院は必要ないのではないか」
という疑問が生まれるかもしれません。
しかし、私はそうは思っていません。
急性期の精神状態では
・強い苦痛
・現実との距離
・生活の崩れ
が起こることがあります。
安全を確保しながら回復を支える場所は必要ではないかと思っている。
私が問題だと思っているのは、
精神科病院が生活の場になってしまうことです。
先日グループホームに入所した方とお話しする機会がありました。
その方は20代から20年以上病院に入っていました。
家族の強い求めがあり、退院できなかったそうです。
そのご家族が亡くなったことで、退院の可能性がでてきた。
でも、そう簡単にはいきません。退院が決まるたびに興奮して準備を進めるごとに調子を崩していく、そうやって何度も病院に舞い戻り、そのたびに2年から3年再び病院での「生活」を余儀なくされました。
やっとタイミングが合い、退院してきましたが、薄氷の上を歩くような状態で明日にでも病院に戻ってしまうのではないかと言う危うさがあります。
何故なら、社会での刺激がすべてその人にとって「過剰な刺激」になってしまうから。LINEでのやりとりひとつとっても、自由にやり取りできてしまうことが過剰な刺激になり、友人からひっきりなしにくる連絡にどう対処していいかわからない。自分が一日の中でどこまでなら無理なくできるのかもわからない。何がやりすぎで、どこからが休息をとるタイミングなのかも「わからなくなっている」のです。
その様な方と出会う度に、人の「施設化」を感じ
疑問とどこに向けていいのかわからない憤りがこみあげてくるのは私だけではないはずです。
そういうこともあって、
病院は本来、回復のための一時的な場所であるはずだと思っています。
理想的な精神科病院とは
・短期入院が基本
・地域生活への移行が前提
・本人の意思決定を尊重
・地域との分断がない
・退院後の支援がある
そうした仕組みの中で存在するものなのではないかと思います。
つまり
病院が中心ではなく、地域が中心であること
これがとても重要なのだと思います。
では最後に、もう一つの大きな問いに触れてみたいと思います。
それは
そもそも精神疾患とは何なのかという問いです。
次回はそこについて私の考えをまとめてみようと思っています。
では、またです!

