RECOVERYの先にあるもの|【明石市・神戸市】精神科特化訪問看護ミント
2025/12/02
RECOVERYの先にあるものウェルビーイング
~再発再燃と新たなリカバリーについて考える~
みなさんこんにちは精神科特化訪問看護ミントです
第三回シリーズの最終話リカバリーの先にあるウェルビーイング
― 再発・再燃による“リカバリーの先のリカバリー”を考える ―について
今日はお話ししていきます。
■リカバリーの“終わり”は、人生の“続き”
リカバリーとは、元の自分に戻ることではなく、
人生の舵を再び自分の手で握り直すプロセスでした(第1回)。
そしてその舵を、支援者が代わりに取らず、
「信じて待つ」ことで育まれていく過程でもあります(第2回)。
では、舵を握り直したあと——
人はどこへ向かうのでしょうか。
リカバリーが一定の安定を迎えると、
多くの人は「よりよく生きたい」「自分らしくありたい」と願うようになります。
その段階を、ウェルビーイング(well-being)=“よく生きる”と呼びます。
しかし、精神疾患の世界で多くみられる現実があります。それが症状の再発再燃です。
「安定が訪れたらそれで終わり」でないことが多いのです。
そして、症状の再発や再燃があるたびに、
人は再びリカバリーの航路に戻っていく。
でも、それは後戻りではなく、
“リカバリーの先のリカバリー”——
つまり、生き続けることそのものの中にある循環だと捉えてみましょう。
■ウェルビーイングとは、“状態”ではなく“関係の質”
「ウェルビーイング」という言葉は、
幸福・安定・健康などの“状態”を指すと誤解されがちです。
けれども本質的には、
「自分と世界との関わり方の質」を意味しているのではないでしょうか。
リカバリーが「自分の舵を握ること」だとすれば、
ウェルビーイングは「その舵で、どんな海を進みたいか」を選ぶ段階です。
たとえば、
・人とのつながりの中で安心して過ごせる
・自分のペースで働き、生きがいを感じられる
・心の波があっても、それを否定せず共に生きられる
これらはすべて“ウェルビーイングなあり方”です。
つまりウェルビーイングは、静止した「幸せな状態」ではなく、
“揺れを含んだ“関係の持続性”だといえるのではないでしょうか。
■リカバリーが一旦終わるとき、始まるもの
人が自分の舵を取り戻し、
日常生活を送れるようになったとき、
リカバリーはいったん一区切りを迎えます。
そしてその先に、ウェルビーイングのフェーズが訪れます。この考え方をWRAPで活躍されているねてるさんの講座で初めて聞いた時に、私はハッとしました。それまで私の中にあった「リカバリー」は延々と続く作業のようなちょっと重たい響きだったからです。でも、リカバリーは自分で舵取りができるようになった感覚と同時に一旦区切りを迎えて、そこからグラデーションのようにウエルビーイングに向かっていくんだと思えた時に新たな希望を発見したような気持になりました。
ウエルビーイングの段階は、「病気のある自分を抱えながら、どんな人生を生きるか」を考えていく段階と言っていいと思います。
わかりやすく言えば“治す”ではなく“生きる”ことに焦点が移り、
「何を大切にしたいか」「どんな関係を築きたいか」が中心になります。
しかし同時に、精神疾患の多くは、再発・再燃という“波”を伴います。
それによって、せっかくの安定が崩れ、再び舵を失うような感覚に襲われることがあります。そのスパンが短い人もいれば、長い年単位のスパンの人もいらっしゃいます。
ここに、精神疾患特有の「生きづらさ」があると言われているのですが、これは私にとっては持病のアトピーの重症化と寛解を繰り返し、希望と絶望を何度も体験してきた体験のなかで感じてきた想いと似ているのではないか思っています。
一度のリカバリーでは終わらない。何度も波をくぐり抜けながら、“リカバリーの先のリカバリー”を生きていく。その繰り返しはもちろん苦しさでもあるのですが、同時に成長をもたらすものでもあると思っています。
その辛い時期を並走してくれる人を味方につけておく、そうすることで、ただの苦しみが成長の過程へと変換されるのではないでしょうか。
■再発・再燃は「後退」ではなく「更新」
とはいえ、支援の現場でよく出てくるフレーズとしてやっぱり
「また元に戻ってしまったね」
「またか、変わらないね・・・・。」
「同じことの繰り返しですね。」
などの言葉があると思います。これは当事者本人が口にすることもありますし、支援者の中で使われることもある。一旦はこの言葉がポロリと出てもそれでいいと思うのですが、そのあとが大切。
リカバリーの視点から捉え直して見ると、それは“元に戻る”ではなく、“経験が更新される”ことでもあり、〝変わらない”ではなくて成長の途中であったり、新たな局面であると思うのです。一度舵を握った経験のある人は、
次に波が来たときも、「以前よりも早く」「自分なりの方法で」立ち直れる力を身につけています。
その微差や変化を見逃さない観察力、そして、それを言語化して当事者本人と共有できる力が支援者の腕の見せ所なのではないかと思っています。
再燃や再発は、人生の途上にある自然な揺らぎ。
その中で人は、“もう一度、自分を取り戻す力”を鍛えていきます。
それこそが、「リカバリーの先のリカバリー」なのではないでしょうか。
私たちは当事者ではないからこそ、そこを待ち続け、信じ続けるという役割を果たすことができる、そう思っています。
■支援者にできること:ある意味終わりを作らないこと
一般的に陥りやすいのは、無意識に「リカバリー=ゴール」と考えてしまうことです。支援者としての関わりのゴールや支援の卒業といった終わりは確かにありますよね。
でも実際には、リカバリーの過程もそうですし、リカバリーとウエルビーイングの段階に明瞭な境目があるわけではないのです。私たちの人生の歩みは様々なことがグラデーションのような変化。ハッキリした境界線があることの方が珍しい。
なので私は支援者の視点として、続いていく人生の中でグラデーションのように捉えていく視点と、ひとつひとつ区切りをつけて成長を感じていくという二つの視点の両輪が必要になってくると思っています。
一度の安定を“卒業”と見なさないこと。
波が来たとき、「また始まりだ」と受け止めること。
状態ではなく、その人の生き続ける力を信じること。
リカバリーは、「生きる」という営みの一部なのです。
季節がめぐるような循環で春のような安定もあれば、嵐のような再燃もある。
でもそのすべてが、生きる営みの一部。
訪問看護、支援という枠の中では一旦の区切りを迎える事や卒業、ゴールを設定することが大切ですが、ひとりひとりのリカバリーの本質を考えた時には終わりもゴールもない。ただの区切りがあってそれが循環したり、違う形でやってきたりする。そう考えると、自分たちが関わっている時だけをその人の人生から切り取って考えるのではなく、その人人生の全体から今を見つめる視点が大切になってきます。
■「リカバリーの先のリカバリー」を生きるということ
リカバリーを終えた先に訪れるウェルビーイングは、“何も起こらない穏やかさ”ではありません。
むしろ、再び波を受け止めながらも、「それでも生きていこう」とする姿勢です。
そこには、“不完全さと共にある安定”があります。
心の揺らぎを否定せず、再発の兆しを「怖れ」ではなく「気づき」として受け取れるようになったら?
その柔らかさこそ、ウェルビーイングの成熟した形だと感じます。
リカバリーの先にあるのは、完璧な自立や安定と言った固定化されたイメージではなく
「揺れながらも、自分で舵を握り続ける」というしなやかなイメージ。
その連続性の中で、人は生きていくのだと思います。
■まとめ:リカバリーは人生の一部
第1回でお伝えしたように、リカバリーとは
“元に戻ることではなく、舵を握り直すこと”。
第2回では、“その舵を信じて待つ支援”の大切さをお話ししました。
そして今回の最終回では、
その舵を握り続けることの流動性と連続性についてお話ししました。
リカバリーは、
「一度きりの回復」ではなく、
「何度でも自分を取り戻す力」を育てる旅みたいなものかもしれません。
ウェルビーイングとは、その旅を恐れず続けていくこと。
再燃や再発を「失敗」と見なさず、新しいリカバリーが始まる合図として受け止めること。
私たち支援者ができるのは、その航路の隣で、「また舵を握れる日が来る」と信じて待つこと。
そして、ご利用者様ご自身が、
揺れながらも自分の人生を舵取りし続けている限り、その瞬間こそが、
すでに“ウェルビーイング”の只中にあるのだと思います。
長くなりましたが私のとりとめない話に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
これからも、感じたことを発信していきたいと思っています。
では、またです!


