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その人の舵取りを信じて待つという支援の在り方|【明石市・神戸市】精神科特化訪問看護ミント

その人の舵取りを信じて待つ

その人の舵取りを信じて待つという支援の在り方|【明石市・神戸市】精神科特化訪問看護ミント

2025/11/25

その人の舵取りを信じて待つ

controlしない支援の在り方

みなさんこんにちは精神科特化訪問看護ミントです。

今回はシリーズ2回目リカバリーについて支援者の在り方を軸にお話ししてみようと思います。

 

支援とは、“その人の舵取りを信じて待つこと”

■支援者の「役に立ちたい」が、時に舵を奪うことがある

精神科訪問の現場で働いていると、「この人の役に立ちたい」という思いに突き動かされる瞬間があります。
困っている人の力になりたい、少しでも良くなってほしい——
その願いは支援者としての原動力であり、人としての温かさそのものです。

 

けれども、その“役に立ちたい”が、いつの間にか相手の舵を奪ってしまうことがあります。

たとえば、私たちはその人の今を捉える為に観察してアセスメントをします。

このアセスメントは対話の対局にあるのですが(ここを語り出すとまた長くなってしまうのでこれについてはまた別の記事で話したいと思います)

アセスメントの結果「この方法がいい」と結論付けてしまうことがあります。
または、ついつい先回りして助言し、転ばぬ先の杖になって行動を制止してしまうとき。
「失敗しないように」という配慮が、相手のリカバリーの機会を奪うことがあるのです。

 

そして、気をつけないといけないのは、その背景に、「支援者として成果を感じたい」という支援者側の自然な欲求——自己効力感の追求があります。
しかし、ときにそれが“相手のため”ではなく、“自分の満足”のために支援している状態へとすり替わることがある。
この微妙なずれに、気づけるかどうかがリカバリー支援の深度を決めます。

 

 

■リカバリーの主役は、支援者ではなく本人

リカバリーとは、本人が自分の人生の舵を再び自分の手に取り戻すプロセスです。
だからこそ、支援者が代わりに舵を取ってしまうと、
その人の“生きる力”を弱めてしまう可能性があります。

 

「うまく導く」ことが目的化すると、
支援の主語が“相手”から“自分(支援者)”に入れ替わってしまう。
それは無意識のうちに、支援者自身の安心や達成感を守る行為にすり替わります。

これは、意識しておかないと無意識にすり替わることがある。

だからこそ、チームの中で、多様な声が響き合う中で、自分を確認しながら進めていくことが大切になってきます。

 

本当のリカバリー支援とは、
「この人の人生を、この人自身がもう一度握り直せるように支える」こと。
支援者が舵を“預ける勇気”を持つことから始まるともいえるのではないでしょうか。

 

 

■「見守る支援」は、何もしないことではない

“信じて待つ”という支援は、簡単ではありません。
表面上は静かに見えても、内側では多くの葛藤が生まれます。

見守るとは、

相手の小さな変化を丁寧に観察し、言葉にならないサインを感じ取ること。

「こうした方がいい」と思っても、その人が自分で体験して気づく機会を奪わないこと。

失敗を恐れて、学びのチャンスを先回りして取り上げないこと。

たとえば、「今日は外に出てみたい」と言う人に、
体調を案じて「やめておいた方がいい」と止めるよりも、
「もし途中でしんどくなったら、どうしようか?」と一緒に考える。
 

リカバリーの過程で起こる失敗に見える体験は、全てが貴重な“経験の積み重ね”です。
体験の中にこそ、「自分で決めて、自分で確かめた」という実感が宿ります。
支援者がそのプロセスを奪ってしまえば、安全にはなるかもしれませんが、
生きる力の再生はそこで止まってしまいます。

 

見守るとは、離れることではありません。
相手が自分のペースで舵を試しながら、波に揺られても沈まないよう、そっと同じ海面に居続けること。
焦らず、待ち、信じる——その静けさの中に、支援者の成熟した姿が見えてくるように思いませんか?

 

■「役に立ちたい」と「見届けたい」の違い

支援者が“役に立ちたい”と感じるのは自然です。
けれども、リカバリー支援においては、
“役に立つこと”よりも“一旦その人のリカバリーを見届ける”と言う視点が大切です。

 

前者は「自分が動くこと」で完結しますが、
後者は「相手が動くのを信じて待つこと」を含みます。

 

支援者が求める達成感は、時に即効性のある結果に結びつきます。
しかし、リカバリーはそうした直線的な成果だけでは形成されません。
目に見える変化よりも、
「自分で決めた」という本人の内的な体験こそが、
リカバリーの核心にあります。

支援者の本当の仕事は、“手を差し伸べる”よりも、
“その人の手が再び動く瞬間を信じて見届ける”ところにあるのです。

 

■信じるとは、「相手の力を見続けること」

「信じる」とは、根拠のない希望ではなく、
相手の中に確かに存在するリカバリーの力を「見続ける」行為です。

本人が自分を信じられないときでも、
支援者がその可能性を見失わない。
それが、リカバリーの灯を消さない関わりです。

 

支援とは、「助けること」ではなく、「信じることをやめないこと」。
焦らず、比べず、見捨てずに居ること。
その積み重ねが、「自分の舵を握っても大丈夫だ」と思える感覚を育てていくのではないかと思います。

 

■支援とは「寄り添う」でも「導く」でもなく、「共に歩く」

リカバリー支援での関係性は、
“寄り添う”でも“導く”でもなく、“共に歩く”ことです。

 

寄り添いすぎれば依存を生み、
導こうとすれば主導権を奪ってしまう。
共に歩くとは、対等な関係であり、互いに学び合う姿勢です。

 

たとえば、嵐の中で方向を見失ったとき、
「どこに行きたかったんだっけ?」と一緒に地図を広げる。
支援者は“正解”を示すのではなく、
その人が再び自分の答えにたどり着くまでの同伴者であり続けます。

 

■支援者自身も、常に成長の途中にいる

支援者もまた、日々揺れながら成長しています。
「待てない自分」「焦る自分」「正解を求める自分」。
そのすべてと向き合いながら、支援者自身も成長の途上にいる存在なのです。

もしかしたら、自分の何かからリカバリーしているところかもしれませんし、それでいいと思うのです。

 

だからこそ、支援を通して気づかせてもらうのは、
相手を信じることは、自分をも信じ直すことだということ。


リカバリーは、支援者と利用者のあいだで相互に育まれていくプロセスなのです。

 

■まとめ:信じて待つことが、最も深い支援

リカバリーの中心には、
「人は再び舵を握り直す力を持っている」という確信が存在する。

支援とは、その力を信じ、待ち、奪わないこと。

具体的には、「役に立とう」とする心理に溺れないで
「いま自分は本当に相手を見ているか?」
「それとも、自分の安心を守るために動いていないか?」
と、自分に問いかける姿勢をもつことです。

 

そして、自分自身を見るメガネは曇りがち、だからこそチームの仲間が自分を知ってくれている事、意見を共鳴させることができる環境を作っておくことが大切。

 

見守るとは、信じることの延長であり、
信じるとは、相手の力を奪わないこと。
そしてそれが、最も静かで、最も深い支援の形なのではないかと思う。

次回予告:
第3回「リカバリーの先にあるウェルビーイング──終わりと、再び始まるリカバリー」
──リカバリーの循環と、生きづらさの本質について考えます。

では、またです!

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