応答することが関わるということ|【明石市】精神科訪問看護ミント
2025/11/03
応答することが関わるということ
バフチンの「対話の倫理」から見る、人と人のつながり
みなさんこんにちはミントです
応答することが関わるということだという考え方は
私にとってある意味の救いでもあります。
1. 「何を言えばいいかわからない」とき
誰かの苦しみに向き合うとき、
「何て声をかけたらいいんだろう」と悩んでしまうことがあります。
身近な人の悩みでも、
仕事での支援の場面でも、
“正しい言葉”が見つからず、
黙ってしまう自分を責めてしまうこともしばしば。
そんな時に限って言わなくていいことを言ってしまったり、
ちぐはぐなことが起きがちです。
哲学者 ミハイル・バフチン はこう言いました。
「沈黙もまた、応答である。」
人は、言葉で答えるときだけでなく、
その場に居続けること自体で“応答”している。
この視点に立つと、関わりの意味が少し変わって見えてきます。
この言葉に救われたような気持になったのは私だけではないと思います。
それしかできない、そんな時があります。
2. 応答とは「あなたの声を確かに聴いた」ということ
私たちは、相手の話を聴きながら、
頭の中で「何を言うべきか」を考えがちです。でも本当に大切なのは、
「今ここで、あなたの声を受け取っている」ということ。
それを忘れてしまいがち。
バフチンは「言葉は他者への応答である」と言いました。
つまり、私たちは常に“呼びかけられる存在”であり、
その呼びかけに応じながら生きている。
「おはよう」と言われて返す「おはよう」も、
「つらい」と言われて返す沈黙も、
どちらも応答です。
大切なのは、“返す”ことよりも“受け取る”こと。
この意味の本質が少しずつ分かってきたように思ったのは最近のことです。
応答は、相手を「理解」する前に、まず存在を受け止める行為なのだと思います。
3. 「正しい返答」ではなく、「関係を閉じないこと」
支援の現場では、
「間違ったことを言って傷つけたくない」と思うあまり、
言葉を選びすぎて、結果的に何も言えなくなることがあります。
でも、バフチンのいう“応答可能性”とは、
完璧な言葉を選ぶことではなく、関係を閉じないことにあります。
「どうしてもわからないけど、それでもあなたの話を聴いていたい」
そう伝えることも、立派な応答です。
支援とは、“解決”することではなく、“関係を続けること”の中に本質があります。
日々の生活の実質てきなところは対処すれば解決することはできます。
でも、こころが壊れそうになるまで、あるいは壊れるに至るまでには
様々な出来事や布石があり、”解決”ではどうにもならないことの方が多い。
言葉が届かない日があっても、翌週も同じ扉をノックしに行く。
その繰り返しの中で、人は「信じていいかもしれない」という感覚を持ち始める。
それは、結果ではなく関係の継続そのものが希望になる瞬間だと私は思います。
4. 応答がもたらす「変化」
応答の力は、相手だけでなく、自分自身をも変えるところにあります。
たとえば、「助けなきゃ」と思って訪問したのに、相手の言葉に心を動かされて帰ってくる。
そんな経験はありませんか?
バフチンの言う“対話的存在”とは、自分も他者によって変えられるということ。
応答とは、相手の声を通して自分の世界も広がることなのです。
だから、「支援する」「される」という一方通行ではなく、
お互いが影響を受けあいながら変化していくということが起きる。
それが、対話の本質なのだと思います。
この仕事を通して変化成長しない人はいないと思っています。
それがないという人はまだ、応答にいきついていない、ただそれだけなのだと思います。
5. “沈黙の応答”という優しい関わり方
応答には、言葉だけでなく、沈黙という形もあります。
沈黙は、無関心ではありません。ときに、言葉よりも多くを語ります。
例えば誰かの涙の前で、何も言えず、ただ座っている時間。
それは“何もしない”時間ではなく、一緒にその痛みを生きる時間です。
(ただし、涙にも色々ありますよね。何か言ってほしくて、パフォーマンス的な場面があったり、
またか・・・と思う場面があったり、皆さんの声が聞えてきそうですが(笑)
それはそれで、そこに至る理由がありますよね。)
バフチンの言葉で言えば、
「あなたの世界に、私も参加しています」という応答。
人は、自分の苦しみに誰かが居合わせてくれることで、少しずつ“ひとりではない”と感じていくのだと思います。
6. 「応答のない関係」は、関係ではない
支援の現場で、時にこんな場面があります。
「話しかけても返ってこない」
「何を言っても無視される」
それでも、諦めずに小さなサインを見つけようとすること。
表情のわずかな変化、
声のトーン、
手の動き――
そうした“言葉にならない応答”を感じ取ることもまた、対話の一部です。
そして、もう一つ忘れてはいけないのは、
支援者自身も応答されているということ。
相手が少し笑った、
少しドアを開けてくれた。
いつもと違った表情をみせてくれた。
その小さな応答が、私達支援者の心を支えてくれるのです。
だから必ず訪問看護は相互関係がないと成り立たない。
応答は、双方向に流れる。それが、バフチンのいう「生きた関係」なのだと思います。
7. “応答し続ける”という希望
バフチンはこうも言いました。
「最後の言葉は、決して語られない。」
人と人との関係には、
“終わり”という区切りがありません。
今日言葉が通じなくても、明日、何かが変わるかもしれません。
その“まだ見ぬ応答”を信じて関わり続けることが、
支援という営みの希望なのだと思います。
応答することは、関わること。
関わることは、手放さないこと。
正解を探すよりも、
「あなたの声を聴いている」という
小さな応答を積み重ねていくこと。
その一つひとつが、
人の心をもう一度、世界に結びつけていくのだと思います。
✴︎まとめ
応答とは「あなたの声を確かに受け取った」ということ
正しい返答より、関係を閉じないことが大切
沈黙も、立派な応答
応答は相手を変えるだけでなく、自分も変える
最後の言葉は決して語られない――だから、関わりは続く
応答とは、特別なことではありません。
日常の「うん」「そうなんだね」「ここにいるよ」という小さな言葉、
あるいは、ただ黙って寄り添う時間。
それらすべてが、人と人をつなぐ“対話の橋”です。
バフチンの思想は、
その橋の上で静かに灯り続ける小さなランプのようなもので
私は何度も救われました。
誰かの声に応答するたび、
その灯りが、少しずつ周りを照らしていきます。
それが、私たちの仕事にとってまた希望であり力になると思っています。
では、またです!


