「聴く」を哲学から見つめ直す|【明石市・垂水区・西区】精神特化訪問看護ミント
2025/11/01
聴くことは”わかること”じゃない
バフチンの対話の哲学から見える本当の聴く力
みなさんこんにちはミントです
随分何度も聴く事については話してきたように思いますが
今回は、オープンダイアローグの研修に行ってきたスタッフに影響を受け
バフチンの言う対話って何だろうというテーマでごちゃごちゃと考えてみました。
1. 「聴く」ことは、思っているよりずっとむずかしい
誰かの話を「ちゃんと聴こう」と思うことは、
人と関わるうえでとても大切な姿勢です。
けれども実際にやってみると、それがどれほど難しいことか、
きっと誰もが一度は感じたことがあるでしょう。
たとえば、相手がなかなか話の筋をまとめられなかったり、
同じことを何度も繰り返したり、
ときには怒りや悲しみが混ざっていて言葉にならなかったり・・・・
それを聴くことが仕事と言えば仕事。
そんなとき、私たちはつい「早く理解したい」「答えを出したい」
とついつい思ってしまいます。
けれども、そこで焦って“理解しよう”とするほど、
相手の心から遠ざかってしまうことがあります。
何年やっていてもなかなか納得できる「聴く」に
ならないものだなと思うこともあります。
2. バフチンという人の考え方
ここで紹介したいのが、
20世紀ロシアの思想家 ミハイル・バフチン の考え方です。
彼は「対話の哲学」と呼ばれる独自の世界を築いた人で、
人間を“言葉を通して生きる存在”としてとらえました。
バフチンはこう言っています。
「人の言葉は、いつも他者への応答であり、
そして誰かからの呼びかけでもある。」
つまり、言葉とは“自分ひとりで完結するものではない”ということ。
私たちは、誰かに聴いてもらうことで初めて、
自分の中の気持ちを形にできるのです。
応答する相手がいてこそ
言葉が言葉になるということなのでしょうか。
3. 「わからないまま聴く」ことの力
バフチンは、「他者を理解する」ということに対しても
とても興味深い考えを持っていました。
彼によれば、他者の声は完全には理解できない。
人はそれぞれ違う世界を生き、
違う経験・価値観・痛みをもっている。
だから、相手の言葉を“すべてわかる”ことはできないのです。
でも、それでいい。
大切なのは、わからないままでも、相手の声を受け取ること。
「この人は、何を感じているんだろう」
「どうしてこの言葉を選んだのかな」
そんなふうに、自分の中で静かに問い続けることが、
“対話”の本当のはじまりです。
理解ではなく、共にいること。
分析ではなく、響き合うこと。
それが、バフチンが言う「対話的な関わり」なのです。
ついつい理解に傾いてしまう私としては
本当に耳が痛い話です。理解ではなく共にいる事
その場の力はとてもパワフルで希望に満ちていることを
頭では理解できているのですが、その場面になると「理解」の
欲求がむくむくとやってくるのです。
4. 看護や支援の現場から見た「聴くこと」
この考え方は、福祉や医療の現場にも深く通じます。
私たちが出会う人の中には、
うまく言葉にできない思いや、長い沈黙を抱えた方もいます。
時に、「何を言いたいのかよくわからない」と感じることもあります。
けれど、そこに「聴こうとする人」がいるだけで、
その人の中に少しずつ“言葉の芽”が生まれてくることがあります。
たとえば、最初は黙っていた方が、
ある日ぽつりと「最近眠れないんです」と話し出した。
それは、相手の中で「この人なら話してもいいかも」と
感じられたからこその小さな変化とも受け取ることができます。
“わからないまま”でも、聴き続けていると、
相手の中で何かが少しずつ動き始める――
相手の中に気付きが産まれる瞬間のようなものがあり
それを一緒に感じることができた時は
深く繋がる感覚があります。
5. 「わからない」を受け止めるという優しさ
私たちは日常の中でも、
家族や友人、同僚との会話のなかで、
「この人、なんでこんな言い方をするんだろう?」
「どうして急に怒ったの?」と戸惑うことがあります。
そんなとき、
“すぐに理解しようとしない”こともまた、優しさの一つです。
「わからないけど、あなたの声をちゃんと聴いている」
そう伝わるだけで、相手の心は少し落ち着くことがあります。
理解できなくてもいい。
評価しなくてもいい。
ただ「ここにいる」「聴いてもらっている」という事実だけで、
人は支えられることがあるのです。
6. 「沈黙の中で聴く」こと
バフチンの考えのなかでもとても共感できる部分が
「沈黙」もまた、対話の一部というところです。
相手が言葉を探している時間、
沈黙の中で空気が少し重たく感じられる時間――
そこにも“意味”があります。
私たちは沈黙に耐えきれず、
つい何かを言って埋めたくなりますが、
沈黙の中で相手が自分の言葉を探しているなら、
それを待つことこそが、いちばん深い「聴く」行為かもしれません。
バフチンは「意味は関係の中で生まれる」と言いました。
沈黙の時間も、また関係の一部。
そこには「あなたと一緒にいるよ」というメッセージが
静かに流れていることを知る必要があります。
7. “わかり合えないまま、つながる”という希望
「聴くことは、わかることじゃない」
――この言葉は、少し不思議に聞こえるかもしれません。
けれども、私たちが人と深く関わるとき、
本当に相手を“完全に理解する”ことは不可能です。
それでも人は、分かり合えないままでも、
“つながる”ことができる。
わかり合っているから繋がっているということの方が
表面的な繋がりなのかもしれません。
その深いつながりを可能にするのが、「対話する心」なのではないでしょうか。
相手を変えようとせず、
自分の価値観で裁かず、
ただ“ともに居よう”とする時間の中で、
人と人とのあいだに信頼が芽生えていくのではないかと思います。
よく、精神科の訪問看護を始めたての方から
「どうしても、何か答えを求められているように思って焦る。」
とか「何かしないといけないと思いすぎて、余白がなくなっていました。」
という声を聞きます。
そんな時は是非この話を思い出して、沈黙やただそこに存在するということの価値を
信じていただけたらと思います。
8. 「聴く」は、愛のかたちのひとつ
最後に、聴くというのは、相手の存在に「居場所」をつくること。
バフチンの思想を日常に引き寄せると、
“聴く”とは、まさにその人が「ここにいていい」と感じられる空間を
一緒に作る行為だと言えます。
理解しようとするよりも、
受け止めようとする。
答えを出すよりも、
沈黙の中に寄り添う。
その一瞬一瞬の「聴く」という営みが、
人の心を回復へと導いていく――
支援の現場でも、家庭でも、職場でも、
それは同じことなのです。
✴︎まとめ
聴くとは、理解ではなく“響き合う”こと
わからないままでも聴くことに意味がある
沈黙もまた、対話の一部
「聴く」という行為が、人に居場所をつくる
人と人との関係の中で、
“すぐにはわからない声”に出会うときがあります。
でも、そこで耳を閉ざさずにいること。
その静かな勇気こそが、
バフチンのいう「対話の力」なのかもしれません。
では、またです!


