4月1日新しい始まりがしんどい人へ|精神科訪問看護師として春に思うこと
2026/04/01
4月1日、新しい始まりがしんどい人へ――
精神科訪問看護師として春に思うこと
4月1日になると、街の空気が少し変わります。
新しいスーツ。
新しい名札。
新しい部署。
新しい学校。
新しい人間関係。
そして、新しい「自分にならなければいけないような空気」。
春は、世の中的には「始まりの季節」です。
前向きで、希望があって、まっさらで、清々しい。
そんなイメージがあふれています。
でも実際には、この季節がしんどい人も少なくありません。
むしろ、精神科訪問看護の現場にいると、
春という季節は、案外やさしくないなと思うことがあります。
「始まり」は、希望であると同時にプレッシャーでもある
新年度、新生活、新しい環境。
それ自体は悪いことではありません。
むしろ、何かを変えるきっかけになることもあります。
ただ、「始まり」には独特の圧があります。
ちゃんとしなきゃ。
うまくやらなきゃ。
今度こそ変わらなきゃ。
新しい場所では失敗しちゃいけない。
去年の自分のままじゃダメな気がする。
4月になると、こういう“見えない命令”が一気に増えます。
そして、それにうまく乗れないと、
自分だけが置いていかれているような気持ちになる。
でも、本当はそんなことはありません。
人は、カレンダーが変わっただけでは急に変われない
4月1日は、社会にとっては区切りの日です。
でも、人の心や人生は、そんなにきれいに切り替わりません。
昨日までしんどかった人が、今日から急に前向きになるわけではないし、
ずっと抱えてきた不安や疲れや孤独が、年度替わりで消えるわけでもない。
むしろ「新しいスタートを切らなければ」という空気が強いほど、
変われない自分を責めてしまうことがあります。
でも、少し冷静に考えてみれば当たり前です。
人は、機械ではありません。
季節が変わったからといって、
心まで一斉に春仕様になるわけではない。
だからもし今日、
「4月なのに全然前向きじゃない」
「始まりの空気がしんどい」
「何も新しく始める気になれない」
そう感じていたとしても、それはおかしなことではありません。
それは単に、
あなたの心がまだ冬の続きにいるというだけかもしれません。
そしてそれは、何も悪いことではないと思うのです。
春にしんどくなる人は、むしろ真面目な人が多い
精神科の領域にいるとよく感じるのですが、
春にしんどくなりやすい人は、意外と「弱い人」ではありません。
むしろ逆で、
ちゃんとしようとする人、空気を読もうとする人、期待に応えようとする人ほど、春に疲れやすい。
新しい環境に適応しようとする。
周りに迷惑をかけないようにする。
失敗しないように気を張る。
明るく見せる。
頑張っているように見えるようにする。
その全部が、少しずつ心を削っていきます。
春は華やかに見えて、実はかなり神経を使う季節です。
だからこの時期に疲れるのは、ある意味では自然なことでもあります。
始まりの日に必要なのは、「決意」より「余白」かもしれない
本当に必要なのは
“余白”なのではないかと思うことがあります。
新しい環境に慣れるための余白。
うまくできない自分を責めない余白。
疲れたら休んでいいと思える余白。
まだ何者にもなっていない自分を、そのまま置いておける余白。
始まりの日に大切なのは、
「今日から変わるぞ」と強く握りしめることより、
「まだ整っていなくてもいい」と少し緩めておくことかもしれません。
「今の自分のまま始めていい」ということ
新年度になると、
つい「新しい自分」でスタートしなければいけないような気がしてしまいます。
でも本当は、
新しい自分になってから始める必要なんてないのだと思います。
不安があってもいい。
自信がなくてもいい。
去年の疲れを引きずっていてもいい。
ちゃんと前向きじゃなくてもいい。
それでも、今日を迎えているなら、それで十分です。
始まりというのは、
立派な決意表明をした人だけに訪れるものではなく、
しんどさや迷いを抱えたままでも、静かに訪れるものなのだと思います。
そして本当の意味でのスタートは、
案外そういう“不完全な状態”から始まるのかもしれません。
精神科訪問看護師として、春に思うこと
精神科訪問看護の仕事をしていると、
「元気になってから動く」のではなく、
元気じゃないまま、なんとか日々をつないでいる人たちにたくさん出会います。
朝起きるだけで精一杯の人。
外に出るだけで大仕事の人。
誰かと話すだけで消耗する人。
でも、それでも今日を生きている人。
そういう姿を見ていると、
“始まり”というものの意味が、少し変わってきます。
始まりとは、何か大きなことをする日ではなく、
今日をやめなかった日なのかもしれない。
「新しいことを始める」より先に、
「今日をなんとか引き受けた」
そのこと自体が、すでに十分な一歩なのだと思います。
大切なのは、
「ちゃんと始めること」ではなく、
自分のペースで人生の続きを歩けることなのだと思います。
新しい年度の最初の日に、
勢いよく走り出せなくてもいい。
それでも、今日という一日を迎えたこと自体が、
もう十分に「始まり」なのだと思います。
では、またです!

